恋愛に私は新しく

思考や価値観。これこそがそいつの人間としての本体だと思う。死ぬまでの時間をかけてそれを磨き上げていく事を人生というのだ。

むろん、身体的外見や風貌もそいつを構成する要素だが、経年劣化するそれを本体だと考える人は人生悲しいことになる。

例えば私が痴呆症でボケたり、薬物などで廃人になったとしたら、その時もう私(の思考)は死んでいるのだ。ゆえに薬物中毒者などに興味はわかない。

恋愛に私は新しく知合いを作るのが好きだ。正確にはその人物の「私と異なる価値観」に触れるのが楽しくて仕方がない。それを知ることが自分自身の成長につながる。いわば自分育成ゲームである。リセットは効かない。特にその人物特有の思考や価値観の完成度が高ければ高いほどうれしくなってしまう。自分より能力の高い人間はゴマンと知っているが嫉妬などしない。うれしくなるだけだ。

私自身を見直すと3つの主軸がある。1つ目は家族から教わった将棋に基づく価値観。2つ目は友人と切磋琢磨した非電源ゲームによる価値観。3つ目は仕事で習得した内部監査による価値観。これらが「私」を形作るものだ。

まず将棋。私の価値観の基礎はほとんどこれに由来する。このルール自体は一生かけても極められない。

例えば自分が志を持った分野、世界で知れば知るほどその果てがはるかかなたにあると思い知る。そこで絶望するのも希望を持つのもともに論理的な反応だ。絶望する人間は「自分が果てにたどりつけないという事実」に着眼して絶望する。彼が考えたのは「結果」だ。一方、希望を持つ人間は「自分が一生かけても飽きることがないという事実」に着眼して希望を抱く。彼が考えたのは「過程」だ。これが悲観論者と楽天家の一つの境界線だと思う。自分が変わっていく、成長していくという意志がある限り、人生を充実させる意思がある限り、「絶望」する必要などまるでないと思うんだが。

また、目前の越えるべき壁として父だったり母だったり長兄だったりがいる。世界の果てだけを見ていれば自分を見失うかもしれないが、手が届きそうで届かないところに父母長兄の存在があるのが大きい。問題は私が成長する野と同様にこの壁も成長していることだ。おっかしいなぁ、とっくにこえてたはずなのに(笑)。

ゲーム。純粋な思考のみではないランダム要素、そして多種多様な人間に触れる楽しさはここで入ってきた。ゲームが面白いというよりもゲームをやる人間がおもしろいのだ。日常生活で反赤中表面化しないその人物の価値観が表面化しやすいのだ。場合によっては裏切り等の汚い部分が見えてしまうところもあるがゲームにおいてなら問題はない。リアルでそれをする人間にはさすがに眉をひそめるが。「どうせ裏切るなら後腐れがないように上手にやれ、ソレができないなら裏切るな」と思う。いまだに親交深く、ゲームと言う趣味を一緒に楽しめる友人が多数存在する事実はとても幸福な事実だと思う。

内部監査。人間社会で生きていくからには社会に何らかの貢献をする必要がある。社会に必要とされる技能があれば生きていきやすい。私はどうも自分の人生すら客観視し過ぎるところがある。当事者意識が薄い。その特徴を活かせるのが内部監査である。監査を考えるにあたってはアシュアランスとコンサルティングの視点が必要になると言うのが公式の見解。私的には「ルール」「リスク」「セキュリティ(リーガル)」の視点を重視している。
私には監査的視点を監査という分野だけで完結せず、広く一般社会で監査的視点を皆が身につけるべきだと布教をしていく(と言う野望があるw)。今までの日本社会が抱えてきた問題の大半が個々人ではなくシステムや組織に由来したものだ。ここの犯罪者はそのシステムや組織の中に巣食ってきた虫みたいなものであり、環境を変えれば大半を駆除できる。環境を変えるには内部監査的視点が全員に必要だと思う。視点や価値観であると同時に私の社会貢献、全体利益最大化の「手段」でもあるわけだ。
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